本質をとらえる力
今日はドカ雪が降りました。
湿った雪で雪かきや排雪の時、スキーヤーには一番嫌われる雪質です。
嫌われちゃっても、それが必要なものなら良いと感じます。
さて、それはさておき、
いろいろと今日は考察する機会でした。
ツイッターでも時々つぶやいてますが
演奏家って何なのでしょう?
先日、ちょっとしたキッカケで
フルートの大先輩、そう、師匠クラスのWebサイトを見つけて
Blogを読んでみました。
すーーっごくためになりました。
やはり、音楽は歴史そのものです。
人によっては、昔の話は聞きたくないと言われるかもしれない。
私自身は、若いときは、師匠とか先輩のお話は興味津々で聞けたものですが
今は聞きたくないものらしいので残念です。
だって、そこに眠っているものって貴重な資料です。
クラシックに関して言えばそれが一番大事なところでもあるわけです。
それは、私にしてみれば
音楽においての「愛」だと受け取ります。
なので、今後、いろんな見方があるかもしれないけれど
先人の言うことを軽んじる、もしくは、聞きたくないというのは
受け取れるはずの栄養を拒否してしまう
とっても、もったいのない話と思います。
まぁ、それはそれで良いのでしょう
それも時代なのでしょうけれど。
でも、今ある世界は今までの歴史からくる現れだと思うのです。
そう、ふまえた上で
その中でも、これはもう必要のないもの
というものもある訳です。
例えば、奏法のこと。
または、演奏する際の姿勢や構え方・・・。
これらは、どんどん進化していきます。
それは、その曲をいかに自分の思いを演奏に向かわせられるか・・
ということ。
クラシックだって
これが正しい演奏だ!
ということは全くない訳なのだから
学んだことをすべて再現するというのはちょっと違います。
だからといって、
それまでのものをすべて否定してしまうことは危険だと思うのです。
それは、人格を否定される、そのものだと。
音楽は人格を否定するものではないはずです。
たとえ、それがクラシックであろうがなかろうが。
今日は、大大大先輩からいただいたメッセージを受け取っていただければという願い。
きちんとした指導者であれば
「これまでは、こうだったよ。
でも、こういうところは改善しなければ良くならない。
そして、研究を重ねたらこうだった。
だから、これはこれからもしていって✌️だ!」
ということを言えるはずです。
なので、
どれが正解か、
という問いに正確にはお応えできないかもしれなけれど
その判断は自分でしていく。
その結果、一番自分でしっくり馴染む奏法が
それは、あなたにとっての正解だと思います。
それが、その方にとっての歴史になる。
なので、
新しい考えが一番だ、などと思わないで
歴史の流れをよくみてほしいと思います。
小さい枠だけに固執せず
幅広くとらえていってほしいと思います。
今日は、そんなことが頭に浮かびました。
そして、できるならば
いつでも、臨機応変に受け取る能力もあって良いと思います。
そして、できるならば
いつまでも、同じメソッドを信じるのもちょっと考えましょう。
そして、できるならば
お互いが論じ合えて良い方向に向かえたら良いなと思います。