コラム

呼吸という素晴らしいもの (2004.04.20)

人間は皆呼吸をします。単純に考えれば「息」を吐いたり吸ったりする連続の動作です。無意識に、そして必要不可欠なこの単純な動作、普段私たちは何気なくしていることでしょう。さて、その単純な動作とはいえ、呼吸の仕方で普段の生活が少し変化をもたらしてくれる重要な動作ともいえます。
歌を歌う人、管楽器を吹く者は誰もが思うことかもしれませんが、この呼吸法によって曲全体の流れが決まるとも言えるように私は思います。ちなみに、私は笛吹きですが、呼吸に関してはまだまだと思っています。呼吸法に始まり、呼吸法に終わる、と言っても良いかもしれません。単純に呼吸法といってもひとつではないのです。管楽器奏者は息のスピードを一定に保ち、できるだけ長いフレーズを歌い上げなければなりません。
では、息に焦点を当ててみます。

「息」とはその「自ら」の「心」と書きます。私はここで日本語の深さを実感いたします。息は心を吐き出す、ということじゃないか、とも思います。息を上手く吐き出すことは心の開放に繋がるのではないでしょうか?その息を楽器という物体に吹きかけ音にするとき、楽器が命を持つようになり、また、管楽器奏者や歌手は自分の心を解放しているともいえます。それが、所謂、歌い上げる、表現するということなのです。言葉が存在しなくとも万人に伝えることことができる音楽となっていくのです。
長いフレーズを演奏するときはそれだけ長い息を必要とし、それを支える腹筋が必要になります。これは訓練ですが、私は長年フルートを吹いていることで随分と精神面で支えられてきたように思います。ようするに訓練すればするほど、気を長く保つことにもなるし、脳を活性化しイメージも持ちやすくなり健康にも良いのです。

これは単なる自分の経験から得られたものでしかないのですが、それでも時として耐え難いような問題に直面したときはそうはうまくはいきません。しかし、よく「一呼吸置いてから」という言葉がありますが、深く時間をかけて呼吸をしていると冷静に物事を捉えられるようになります。少なくとも私自身のことではありますが・・・。これは、長い訓練の中で無意識に身についた自己防衛とも言えるかも知れません。
そのかたくなった心を息を使い音にし歌うことによって、気持ちが落ち着き開放されてくるように思います。(逆に言えば自分が抱えている問題が大きければ、自分の出す音も濁って聞こえるともいえます。体調によっても音は変わります。それだけ息がもたらすエネルギーは大きいと言えます。)ほんとうに、ごくごく単純なこの呼吸することを探求するときりがありません。

腹式呼吸でゆっくりと吐いたり吸ったりする動作は何も音を奏でるだけのものではないのです。意識して呼吸をすることによって、自分の身体や心を観察せざるを得なくなる、と私は思います。一定のスピードを一定の時間呼吸することは単純でいて実はとても難しいのではないかとも思います。ヨガや瞑想、武道、スポーツなど、呼吸をとても大切にします。もちろん、そういった正しい呼吸をするには身体に余計な緊張や力が入っていると上手くできません。(この呼吸法についてはまた改めて記したいと思っています。)

私の尊敬するオーレル・ニコレというフルート奏者がおりましたが、ニコレが残した数々の言葉やエピソードはとても興味深いものが沢山残されています。私が記憶しているものの中ではある音楽系の雑誌に紹介された対談集の一文ですが、「日本の禅はとても良い。禅はまさにフルートの呼吸に近い。」と言っていたことです。その言葉は大人になったときまで私の心の隅にいつもありました。その後何かのきっかけで、禅の呼吸を3回ほど体験することになりました。忙しさのあまり続けることができませんでしたが、ニコレの言いたいことが少しわかったように思います。ニコレのあの温かみのある柔らかい重厚な音色の原点はやはり呼吸だったように思います。

長い息を持続させるということは、これはこじつけになるかもしれませんが、「心を支える」ということになるように思います。日本はフルート人口はとても多く愛好家が多いのはもしかしたらそんなところもあるのかもしれません。

しかし、私がフルートを選んだのは何故でしょう?例えば、訓練すれば綺麗な声で歌えたとしても、私は歌は歌わなかったように思います。表現する手段は楽器でなければならなかった理由がありますが、ここでは長くなるので割愛いたします。(単に声を出すのが恥ずかしい、、、ということもあるでしょうが・・・。)呼吸法を活用するものはこの世には沢山あります。どんなに些細なことでも意識する場はいたるところにあるように思います。意識して楽しんで呼吸を観察できるものがあれば是非試してみてください。